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障害者にだって性欲はある!

ある健常者は「障害者と性欲の結びつきはタブーである」と言うが、ある障害者は「障害者には“性欲がない”と思われているので“タブーですらない”」と言っている。

ある健常者は「セックスの快感よりも多くの人からの共感を求めている」と言うが、ある障害者は「快感を求める純粋な欲求を満たしたい」と言っている。

 

先日、障害者の性事情を扱ったドキュメンタリー番組が放送されていた。

冒頭で健常者の若者たちが「セックスはコミュニケーションの一部で、快楽を求めてるのではない」と口を揃えて言っているのに正直寒気がした。

TVとはいえ健常者でさえも性欲に関してタブーなのかと。嘘こけ!と言いたくなる。

障害者の性事情について話す前に、僕が女性に対して感じる性欲のタブーを話したい。

 

どうして女性には「性欲が無い」とか「オナニーはしない」とか、世間的にそれが当たり前になっているのか。

勝手な想像だけど…

出産機能のある女性は「セックスをしたくなければしなきゃいい、ただあなたの子孫は残せないよ」と、男性に比べて受身なとこからタブーが生まれている気がする。

飲み会の席で「セックスなんて興味ない、そもそも濡れない」と言っていたある女の子は、別の友人の証言によると“大きいのが好き”らしく、そのまた別の友人は、同級生同士でセフレなのも知っている。

「下ネタは無理」と言っていたある既婚女性も、親しくなると画像や動画送ってきて性交を求め、「一緒に寝るのはいいけど襲われるのは怖い」と言っていた若い女性も、結局はその日の夜にセックスをする。

お隣の韓国では性の規制が厳しく、成人を過ぎてもネットでエロ動画を閲覧するのは難しい。

友人の韓国人女性が「規制されているから韓国人は性に興味がない」と言っていたけれど、規制されている事と性に興味がない理屈が僕には全く理解できない。

そもそも“女性のくせに”月に数回はオナニーをしているあなたがよく言えるなと笑ってしまう。

 

男性の性欲は快楽先行で、女性の性欲は承認欲求に近いものなんだと最近まで思っていたが、それはあくまでも世間的なイメージで、実際には男女の差は無いと思った。

男性に比べて、公の場で「ヤりたい!」「私にだって性欲がある!」と言えない女性たちは、ネットで自分の性癖や身体を晒している。

一昔前にPass付き掲示板でコソコソとしていた女性も、今は世代が変わって「Twitter」や「ニコニコ動画」などのSNSに平気で身体を載せたり、Webカメラを使ってリアルタイムチャットなんかもしている。

僕はこういった性に関する仮面を被ったコミュニケーションに前々からうんざりしていて、別に股開いて外を歩けとは言わないので、顔を出した時の無駄な駆け引きに何の意味があるのか問いたい。

大多数の女性が演じる“お堅い私”についイラっとしてしまう。

飛躍しすぎかもしれないが、性差別撤廃しろ!と言っているのに女性の性欲に関するタブーはなんなのかと。

 

話を障害者の性事情について戻すと…

脳障害(脳性マヒ)を持ち、言葉がはっきりと話せなく、車椅子無しでは身体を上手く動かせない障害者の男性は、ネットで女性と知り合い交際をしていたという。

「初めてセックスをする時は怖かったので手を使っていたが、彼女が跨って『入れたい』と言ってきたので渋々挿入をした」と本人は語っていた。何が“渋々挿入”だ、と思ったが、顔出しでTV取材を受ける彼なりの見栄なのだろう。

現在彼女のいない彼の性の発散方法は風俗に通うこと。

なぜ通うのか?と尋ねたら、照れ笑いを浮かべて「ヤりたいから」と答えていた。

障害者専用の風俗は、今に始まったことではなく昔からあるそうだ。

番組ではある障害者専用ファッションヘルスを取材していた。

風俗側は、事前に障害の程度をしっかりと把握・理解して、もしもの時の為に重度の障害を持ったお客には“介護士としても働いてる女性”に担当してもらっているという。

風俗嬢はもちろん健常者で、普段は介護士やOLとして働いている方が多いそうだ。

なぜ障害者相手に風俗をしているのか?と介護士の女性に尋ねたら「職業柄、障害を持った方に私にできる事は他に何があるかと考えたらこれだった」と答えていた。

セックスが好きでお金が欲しいのなら健常者とヤればいいので、わざわざ障害者専用風俗で働く彼女にとっては、ここでの仕事も立派な介護なのだと思う。

彼女がインタビューの最後で「お客様は皆さん遊びに来ているので、難しく考えず、気軽にセックスしています」と話していたのが、リリー・フランキーの言う「エロは平等で難しく考えることではない」に通ずる説得力のある言葉だった。

 

性欲もそうだが、障害者とはいえ恋愛感情もあるので出会いの場はどうなっているのか。

ネットを通じて個々で出会う人も少なくはないが、ある支援団体は年に一度、障害者同士のお見合いパーティを開いている。

重度の障害を持った人は保護者などが付き添い、あとは普通に自己紹介を交えた会話をしたり、連絡先を交換したり、健常者のお見合いパーティと変わらない内容だった。参加者のお姉さんは、昨年のお見合いパーティで素敵な男性に出会い、今も付き合っているという。

教育や雇用問題に目を向けるのも大事だが、障害者も当たり前ように恋愛をするのだと支援団体の人は強く訴え掛けていた。

 

この番組が一貫して伝えたいのは「性欲は健常者であっても、障害者であっても平等にある」ということ。

もちろん性欲だけでなく、その他欲求にも同じことが言えて、アプローチの仕方が多少違うが支援や協力が必要だということ。

そして、少なからず障害者の方々は自分の身体にコンプレックス抱いているので、理解が必要だということ。

僕自身、この番組を通して障害者を取り巻く環境について初めて知った事が多く、現に日本ではタブーと言われているくらい浸透していない。

フランスでは、障害を持った当事者が障害者仲間を連れて「セックスをさせろ!」と、プラカードを持ってデモを行ったりもしているそうだ。

 

ついでに紹介すると、この二作品は障害者の性を扱った映画なので、気になる方は予告編だけでもどうぞ。

『セッションズ(The Sessions)』

http://youtu.be/JFuWH5H_wc8

『暗闇から手をのばせ』

http://youtu.be/U7Elt-DrapQ

『セッションズ』に登場する「セックス・サロゲート」は、障害者とセックスを行うだけでなく、カウンセラーやセラピストのような役割も持つ特殊な職業。

売春婦とは違う、医療や介護に近い職業を扱った映画なのだが、セックス描写のせいか日本のみでR18+指定にされてしまった。

 

最後に言っておきたいのが「障害」を過剰に「個性」と呼ぶ親は、表現が少し間違っていると思うので、誤解を生むような発言は責任を持って控えるべき。

在り来たりな言葉かもしれないが、健常者と障害者を差別ではなく区別して見なければならない。

そして、平等と区別の意味を履き違えてないように理解を深めてもらいたい。

 

by tkm