良い音楽レビューとはなにか
全然纏まっていないけど、アイデア的に。
先日、バンドサークルの後輩たちが書いた音楽レビュー集みたいなものを頂いて、ぺらぺらめくってみた。
あぁ、こいつらしい言葉だなぁとか、おぉこいつ色々アーティストの背景とか知って聞いてるなぁとか、おもしろかった。
そこでふと、「良い音楽レビューとはなにか」と疑問を持った。
結論から言うと、やはり「良い」という定義は人それぞれだと思うんだよね。
ただ、その音楽レビューが「成功しているか」「失敗しているか」という区別はできるのではないかと思っている。この言い方も上手く本質を捉えていなくて、もどかしいんだけども。
架空の具体的例をあげてみよう。
とにかく長ったらしく、美辞麗句を並べ立てたレビューがあった。いかにも文学部らしい、まわりくどい文章だ。
たしかにその内容は、しっかりとした知識に裏打ちされているし、作品の本質の一部分も捉えているだろう。
ただ、いまいちその曲を聴く気が起こらない。そのアルバムの「良さ」の核心部分が見えてこない。
まぁ単純に文章力がその美辞麗句を操るのに追いついていない不自然さもあるだろうが、そもそもこのレビューは一体なにを伝えたいのかが、さっぱりわからない。
割と変化球のライナーノーツというものはいくつもあるし、帯にかかれた他のアーティストのレビューなんかは意味不明なこともあるが、不思議となにか伝わるというか、「あっ聴きたいな」と思わせるものがある。
それはなぜかというと、単純に「自分はこのアルバムのココが良いと思う」というところを、独善的に、主観で語っているからだと思う。
レビューというのは、ライナーノーツなどを読めばわかるが、ある程度パターン化されている。その作品がもつ文脈、その時代の歴史的背景などが書かれるだろう。確かにそれらは正式に流通するライナーノーツの「トリビア的な」形式として不可欠だろうが、やはりそのアルバムのどういうところが自分に突き刺さったかを具体的に書いたほうが、言葉として強いだろうと思う。
このレビューは、少なくとも僕には、なんだか伝わってこない。胸に迫ってこない。よって、このレビューがそういうことを目標としていたならば、失敗している。
僕が良いな、と思うレビューは極端に言えば例えばこういうものだ。
「3曲めの2分38秒くらいからのギターソロ、最高。」
あっ聴きたいな、と思う。恐らく僕はそのCDを手に入れて聴いてみるだろう。確かにいいな、と思うかもしれない。
恐らくこのレビュワーは本当にこのギターソロが好きで、それを誰かに伝えたいんだろう。それがわかる。
どう良いのか、自分はどう思ったのかをもっと詳細に書いてもよかったろうと思う。
しかし、このレビューは、誰かをスピーカーに向かわせた時点で恐らく「成功」しているのだろうと思う。
つまり、結論としては、「成功」しながら「良い」レビューを書けるか、ということができるかできないかだと思う。
「成功」と「失敗」という軸で考えると分かりやすいのは、例えば「このレビューの良さがわからないのは読者のせいだ!」というのであれば、恐らく僕が良さを理解できなくてもレビュワーとしては「成功」しているかかもしれないのだ。しかし、当該レビューができるだけ多くの人に共感して欲しいというのであれば、失敗しているのかもしれない。
どうせ書くなら良い文章が書きたいな、とは誰しもが思うことだ。
しかし、自分のなかで「成功」と「失敗」という軸を作って考えてみると、自ずとどんな文章を書けばいいのか分かるような気がする。
創作物に関してはわからないけれど、レビューのようなものでは。
by nuoo